eスクールがつくる未来 ESSAY

2024年5月22日 公開往復書簡 福島勲×市川沙央(2)

専門はフランス文学・思想、表象文化論、文化資源学。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。早稲田大学人間科学学術院准教授を経て2020年4月より教授。

2019年に社会で活躍できる力を身に付けることを目的として早稲田大学eスクールに入学。2023年卒業。2022年度小野梓記念賞受賞、第128回文學界新人賞受賞、第169回芥川賞受賞。

市川沙央さま

 第一回目の往復書簡から、ずいぶんとあいてしまいました。ただ、その間も市川さんは各種メディアに登場されていて、ご活躍はずっと拝見していました。そのさなかに書き送るのもどうしたものか…と少し二の足を踏んでしまっていたようです。
 かくして遅ればせではありますが、頂いた返信に書かれていたeスクール時代の授業の思い出など、ありがとうございました。たまたま、名前を挙げられている先生とお会いしたときにそのことをお話したら、大変喜ばれていました。また、僕の「現代芸術論」の講義冒頭の愛校心と宗教の話も覚えていてくれて嬉しいです。フランス社会学の父とされるエミール・デュルケム著『宗教生活の原初形態』に出てくる、世俗の共同体もどこかしたら宗教共同体のあり方に似通っているという理論に依拠した話で、やや誤解を受けやすい話でもあったのですが、しっかりとキャッチしていただけていて嬉しいです。卒論については、また後の便でおうかがいできたらと思います。
 さて、今回は二回目ということで、専門ゼミ(芸術・表象文化論ゼミ)の思い出をおうかがいできたらと思います。ゼミは、ご存知の通り、対話型のやりとりで進めていく演習形式の授業なのですが、eスクールのゼミは、通学制のゼミとは違ってその場というわけにはいきません。なので、掲示板型のSNSでやりとりを行ったのでしたね。また、市川さんの学年は、たまたまゼミ生が市川さん一人だったので、どのように進めようかと開始前に少し戦略を練ったことを覚えています。毎週たった一人で、発表の担当が回ってくるというのもあんまりですしね。
 その結果、市川さんの専門ゼミ(春学期)には、二つのアイデアを導入しました。一つは形式に関するもので、参加者を増やして研究会形式にすること。そして、もう一つは内容に関するもので、各自が興味のある作品についての発表をゼミの軸にすることでした。ゼミの内容というのは、毎年、集まった学生の顔を見てから決めていて、大体は作品についての研究書や芸術論の読書会(輪読とレジュメ)というかたちになることが多いです。しかしながら、市川さんの年は例外的に、ゼミ参加者が一人ずつ自らで作品を選び、そして、作品についての分析を提示し、それに対して他の参加者がコメントや自らの分析を提示する輪読批評会というかたちを取りました。その理由は、市川さんがすでに研究書を一人で読める能力があるということ(「現代芸術論」の授業コメントやレポートから了解できていました)、そして、何よりも市川さんのライフワークが小説執筆であり、作品そのものに直接取り組むのがよいだろうと考えたからです。
 輪読批評会には、正式にゼミ登録している市川さんに加えて、有志学生、大学院生、そして教育コーチにも参加してもらいました。担当教員として僕が最初にプレゼンを行い、芥川龍之介の「藪の中」を選んだのを覚えています。その後、市川さんが芥川賞を受賞されることを考えると、不思議な縁であったと感慨深いです。この作品を選んだ理由は、最初なので短いものにしようと思ったこともありますが、何が真実であったのか、誰にも読者にもわからないままに終わるこの作品のあり方がとても好きだったということがあります。市川さんのコメントが、出だしの数行からして傑作の匂いがするという言葉から始められていたのを覚えています。その後、筒井康隆、サルトル、千住博、辻仁成の作品についての輪読批評が行われました。市川さんが選ばれた作品は、エニェディ・イルディコ―監督の映画『心と体と』でした。この映画は、恥ずかしながら紹介されるまで未見だったのですが、市川さんの発表とそれに対応する密度の濃い議論で、かなり鑑賞体験が深まったことを覚えています。どんな作品を選び、どのようにそれを鑑賞するのか、ということを共有することで、作品自体の理解が深まるのはもちろんですが、作品を語る相手の人となりを、自己紹介とはぜんぜん違った次元で深く共有できたように思います。
 そして、秋学期からは、いよいよ市川さんご自身の卒業研究の内容を具体化させることへとゼミもシフトしていくことになります。市川さんは障害者表象ということを既にテーマとして掲げられていましたので、その内容に特化した体制に再編成することにしました。今回は、九州で訪問介護をしながらケアの思想的検討を行っている知人に声をかけました。彼はちょうどケアにおける介護者の場所についての文章を僕に送ってきていたところで、介助者という視点から参加してもらったら、何かお互いに面白い化学反応が起きるかもしれないと考えたわけです。結果として、彼の研究発表とそれについての議論から始まり、教育コーチの発表と議論を経て、満を持して、市川さんに研究計画の発表をしていただくという流れとなったのです……。
 返信の筆を取るまではずいぶん時間がかかってしまいましたが、書き始めると不思議なもので筆が止まらず、こんなにも長くなってしまいました。今振り返ってみると、行き当たりばったりだったなあと嘆息してしまいますが、果たして、市川さんはこんな専門ゼミをどのようにとらえられていたのでしょう。時の経つのは早いもので、もう二年も前のこととなってしまいましたね。こちらの記憶違いもあるかもしれませんので、それらも含めて、気が向かれたとき、思い出などお教えいただけたらと思います。
 末筆ながら、寒暖差の激しい時期に加えて、何よりも執筆活動に根を詰められていることと思いますが、どうぞお身体ご自愛くださいませ。
                                  
福島 勲

福島先生

 早いものでデビューから一年が過ぎました。ようやく新しい小説も発表にこぎつけ、去年の仕事はほとんど会見やインタビューだったことに比べると、何だかいかにも小説家らしい作業をしているなあと感じることも増えました。やっと実感が湧いてきたと申しますか……。そう、今でこそ人前で図々しく喋らせていただく機会が増えた私ですが、もともと体力・身体機能的に音声でのコミュニケーションが苦手で不安を抱えていましたので、福島先生が用意してくださったテキストベースのゼミの環境は当時、とてもありがたいものでした。
 eスクールのゼミの形態は、それぞれの研究室によって非常に多様で、オンラインはもちろんのこと、あるいは通学生と同様に対面で行われたり、学科によっては研究室の機材を使用した実験・測定系の研究を行う方もおられますよね。だから私の経験はあくまで参考までに、とするべきものですが、研究室の環境のバラエティや、対面とオンラインを選択肢に持つ柔軟さがeスクールの特色であることは間違いありません。
 私の場合はオンライン上の進行となりました。掲示板型SNSの研究室には、先生と教育コーチが発言しやすい雰囲気をいつも作ってくださって、緊張せずにすむ空気感を感じていました。リラックスして討論に入っていける感覚が、楽しい思い出となって残っています。お心配りいただいた先生方、そして一人ゼミにお付き合いくださった先輩方に今でも深く感謝しています。
 専門ゼミでの輪読批評は各自が思い入れのある作品を指定することになっていましたから、参加いただいた皆さんそれぞれの選書への思い、読みの個性と深さが毎回とても面白く、刺激的でした。お恥ずかしながら私は中学以降の標準的な教育から早々にドロップアウトしてしまったため、複数人で「藪の中」のような小説を読むということそのものが初めてだったんです。「藪の中」について私として注目したのは、語りの視点と、それから不必要に扇情的な構図の意味を問うようなことをちらっと発言したかもしれません。当時の私が官能小説(ティーンズラブ)作家の道に活路を見出そうとしていたこともあって、「藪の中」で展開する三面記事的な構図の表象の起源を研究テーマにしたらどうだろうか、と考えたりもしていました。
 専門ゼミの期間で印象に残っていることの一つに、「芸術とは過剰さである」と福島先生が仰っていたことが思い出されます。千住博氏の「圧倒的な多数の常識的な健全さ、精神的にも肉体的にも健全な人によって創られたものがアートです」(『大徳寺聚光院別院襖絵大全』)という発言について私の発した疑義を元に議論していた際でしたが、思わぬところで先生の芸術観に触れ、なるほど「過剰さ」か……と深く頷いたことを覚えています。
 輪読批評は各回白熱し、夏休みを跨いで専門ゼミの後期となる秋学期まで延長したのでしたよね(笑) あの夏は、一年延期された東京オリンピック・パラリンピックがやっと開催されて、パラリンピックの開・閉会式のショーが世間で高く評価されていた光景などを見ながら、ぼんやりと浮かんできたのが障害者表象という卒業研究のテーマでした。ゼミの一年目の終わりに卒論の研究計画を発表したときには、実は何をどこまで発表すればいいのか、よくわからなかったのですが、結果的にここで腹を括って発表したものがほぼ卒論の原型になっていきました。『ハンチバック』は裏卒論なのだと私はたびたび言ってきました。つまり、ゼミでの発表が『ハンチバック』の最初の萌芽のようなタマゴのようなものだったのだと、今となれば言えるように思います。

市川沙央