eスクールがつくる未来 ESSAY
2025年12月15日 公開往復書簡 福島勲×市川沙央(3)
専門はフランス文学・思想、表象文化論、文化資源学。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。早稲田大学人間科学学術院准教授を経て2020年4月より教授。
2019年に社会で活躍できる力を身に付けることを目的として早稲田大学eスクールに入学。2023年卒業。2022年度小野梓記念賞受賞、第128回文學界新人賞受賞、第169回芥川賞受賞。
市川沙央さま
寒さもひとしおですが、お変わりありませんか。
『ハンチバック』以降、「オフィーリア23号」(『文學界』2024年5月号)に続いて、「音の心中」(『GOAT』2024年秋号)、「女の子の背骨」(『文學界』2025年1月号)を発表されて、着実に作家としてのキャリアを築き上げられていますね。これらの新作たちは、『ハンチバック』とはまた別の問題意識であったり、登場人物の孤独や言葉にされざる感傷といったものが見え隠れする物語になっていて、市川さんの作家としての新たな広がりを確信させるものとなっています。そう言えば、「音の心中」では、「現代芸術論」の授業でも扱った、瀬戸内海にあるクリスチャン・ボルタンスキーの心臓音のアーカイブが舞台装置になっていて、どんな形で展開されるのかと胸躍らせながら読みました。やはりそこにも、作家市川沙央の新たな横顔がありました。
こちらの暮らしは相変わらずですが、大学では、卒業研究のシーズンです。市川さんの卒業研究を思い出すに、本当に手のかからない学生でした。指導らしい指導の必要もなく、ゼミ内での仮提出の段階で、ほぼ完成品と言えるものを見せてもらって、体裁についての小さな修正を提案するだけでしたね。ただ、夏休み前後だったでしょうか、市川さんにしては珍しく、沈潜期とも言うべき時間が少しだけあって、あれ、どうしたんだろう、と思ったことがあったのを覚えています。もちろん、秋学期に入るとすぐに全体像が見通せるものが送られてきて、やはり便りのないのは良い知らせと安心しましたが、その時期に『ハンチバック』を執筆されていたのだと、後になって合点がいきました。
市川さんの卒業研究について言えば、一読してすぐ、これを単なる大学のゼミの卒業研究で眠らせてしまうのは勿体ないと感じました。卒業論文としての完成度はもちろんですが、何よりも論証と結論から導き出されたテーゼに、心底、感服させられたのです。それゆえ、特別に優秀と認められた学位論文に授与される小野梓記念賞(学術賞)に推薦してみることにしました。この賞はかなり厳しい審査があって、安易な気持ちで推薦しないようにという事前の注意すらあるのですが、何故か、きっと賞をとるだろう……という確信のようなものがありました。
しかも、この推薦の裏には密かな計画もありました。受賞の如何を問わず、市川さんの了解をとった上で、この卒業論文を一般書として出版することを知り合いの編集者に持ちかける、という計画が私の中にはすでにあったのです。つまり、小野梓記念賞が取れるならば、この計画への良い追い風になるだろう、と考えていたのです。
ところが、この密かな計画は、思いもかけない形で打ち砕かれていくことになります。いや、小さな台風がより大きな台風に飲み込まれていくような事態とでも言った方がよいでしょうか。この計画を凌駕する驚きの出来事が次々と起こりました。まず、最初の出来事は、小野梓記念賞の受賞です。推薦に自信があったとはいえ、こちらの思いだけで取れるような賞ではありませんから、やはり嬉しい驚きがありました。すぐに市川さんにメールで知らせました。すると、ほどなくして市川さんからの返信が届きました。そこには、小野梓記念賞の望外の受賞への正直な喜びの言葉が述べられていましたが、それに続いて、さらに驚くべきことが書かれてありました。ある文学賞の新人賞(後に文學界新人賞と判明)の受賞内定の連絡がちょうど昨日にあって驚いている、ということが書かれていたのです。無名の前日から、一気にスポットライトの中心へと。こちらまでどこか別の世界に入り込んでしまったような気がしました(後には芥川賞の受賞が続くのですから……)。ともかくも、文學界新人賞を受賞した時点で名のある一人の作家になってしまったわけですから、市川さんの卒業論文をおいそれと出版するわけにはいきません。計画は私の胸の内だけで生まれて消えた、不要な幻となりました(せっかくなので、ここに記しておきます)。
ところで、この時期、市川さんは二つの別の仕事を同時に行うという、私が研究しているジョルジュ・バタイユ風に言えば、極めて「過剰」な行動をとっていたことになります。つまり、小野梓記念賞を授与されるほどの「過剰」な卒業論文を書く一方で、文學界新人賞と芥川賞を授与されるほどの「過剰」な小説作品を同時に執筆するという、まさに「過剰」さをその身に宿して突き進んでいたように思われます。こうした二つの仕事を並行して行うという「過剰」な在り方を、市川さんはどうしてあの時期、選ばれたのでしょう。実際、費やす時間やエネルギーの点からしても、合理性という言葉では説明のできない動機がそこにあったように思われるのです。一体、卒業論文の作成と小説『ハンチバック』執筆との両立は、いかにして可能だったのでしょう。いや、もしかしたら、両者の同時生起には何か別の必然性があったりしたのでしょうか。
確かに『ハンチバック』には、卒業論文を執筆する主人公が重い紙媒体の資料集めにうんざりするという場面があり、そのくだりを読みながら、指導教員の自分がそのことをまるで意識できてなかったことに反省させられました(ちなみに、『文學界』の電子化開始という歴史的な事件が、この作品の掲載時期と重なっていたのは偶然とは思えません...)。ただ、こうした具体的なエピソード以外、卒業論文と小説作品とのつながりについては、市川さんもそれほど話されていないし、メディアでも語られていないように思われます。
……と、書き始めたら、また長くなってしまいました(笑)。駄弁と冗長、ご寛恕ください。そういえば、『ハンチバック』の英訳版の出版が進行中との噂を聞きました。これを期に、すでに書かれた作品たちはもちろん、これから書かれる未来の作品たちについても、世界中の読者たちに市川さんの物語が届き、また彼らの声が市川さんに届くようになることを心から期待しています。
2025年
福島 勲
追伸
フランスの文学賞であるメディシス賞の外国語文学部門にも『ハンチバック』がノミネートされましたね。その時期、たまたまフランスに滞在していて、パリの老舗書店に仏訳本が平積みになっているのを見て心踊りました。
福島先生
お手紙ありがとうございます。
2022年の9月は確かに、今から思えば人生でいちばん重要なしごとに取り組んでいた時間だったわけですね。何故あの9月にそれをやっていたかというご質問には、かなり明快な答えがあります。というのも、9月と3月に小説の公募締切が集中しているため、長年そのサイクルに適応してきた結果、9月が近づくと、いてもたってもいられず何らかの小説賞の締切を目指してしまう身体になってしまっていたのです。大学が休みに入る=小説に時間を注ぎ込める。これはもう条件反射みたいなもので、哀しい順応というか、一つでも機会を逸したくない貧乏性というか。しかしながら公募にも盛衰があり、この十数年で狙って応募していた本格ファンタジー系の賞が一つ消え、二つ消えていきました。私はライトノベル作家を目指して長く奮闘しましたが、求められる傾向の流行り廃りには順応しきれなかったのでしょう。その原因も責任も私にしかないのですが、商業デビューというかたちで作家になれないまま二十年近く経ち、四十代も半ばに差し掛かろうという2022年の私の夢と野心は行き場をなくしていました。あの頃の私は、作家になれない怨念のドロドロももはや乾ききって、吹けば飛ぶほどカピカピになった状態でゼミに参加し卒論を書いていたのです。
小説を含む表象文化の中にも作り手にも障害者の姿があまりにも少ない、という結果に行き着くしかない研究が、カピカピに干からびた私の粘性を蘇らせていったのかもしれません。そもそもが歴史を遡って掻き集めなくてはならないほどに少ない身体障害者の物語だけれども、特に2000年代以降のメジャーな文学において意味のあるものがまったく見出せないとはどういうことか。これまで描かれたステレオタイプの傾向と分類、その影響を踏まえて、現代において書かれるべき身体障害者の物語とはどのようなものか。現在の文学シーンが、先行した韓国文学の影響を受けてフェミニズムのモードにあることから、障害女性のセクシャリティこそが、今書かれるべきテーマなのではないか。これは卒業研究の中で辿り着いた解答でした。
すなわち、「文化」は社会と一体となって障害者を排除する側であること、女性と障害女性の二重性による複合差別の問題、米津が当時コミットしていた優生保護法改悪反対闘争における中絶規制をめぐる女性団体と障害者団体の相克と共闘の歴史などだ。(中略)インターセクショナリティつまりマイノリティ集団内のマイノリティを扱う視点を当事者性を持って物語ることのできる作家は果たして発掘されるだろうか。文学界の進歩のためにも、筆者の提起するクリップ文学の可能性を開くためにも、当事者作家の登場を待ちたい。――卒業論文「障害者表象と現実社会の相互影響について」
今読み返すと、この部分は恥ずかしくもなり、笑ってしまいもするのですが……。こうして発見した文学の穴、欠落を埋めるべく、文学が取りこぼしてきたテーマを自ら書いてみたものが『ハンチバック』でした。『ハンチバック』は作者の当事者性との相乗効果で、ありがたくも大きな話題作になりました。ただしかし、当事者性の以前に、“とっくに書かれているべきなのに今まで書かれていなかった”、その欠落の理由と是非を私は問うているのですが、それについての論考や応答は特にないようです。読書バリアフリーの不備云々は当事者作家が世に出て来にくい理由には関係するが、非当事者作家がプロの技巧を以ってしてこの欠落と向き合わなかった理由の説明にはなりません。もっと踏み込んで言えば、「障害」を文学に持ちこむと、一段、二段、低いものとして見られると言えば言い過ぎかもしれませんが、非常にぎこちない反応が生じる。伝統的男子校に女子生徒が入ってきたときのような、ぎこちなさ。過度な迎合、冷笑、色眼鏡、他の相手には求めない厳正さをもって挑む態度。なぜ多くの人々は障害文学をフラットに評価することができないのか? こうしたメカニズム(ある種のメカニズムを感じます)、私が長年持っているこの疑問、問題意識には、まだ答えがありません。
ちなみに、“書かれているべきなのに今まで書かれていないもの”は、表象史の精査とクリティカルな視線を持てば、「障害」以外にもまだいくらでもあるじゃないか、と私は不遜ながら思っています。特に「健常男性」に書いてほしいテーマがいろいろあるのですが……。文学シーンで女性やマイノリティばかりが目立つと感じて苛立っているような人にこそ(以前の私のように)奮起してもらいたい。創作志望の学生さんたちには是非、現代における「男性ならではの」文学を期待しています、とお伝えしたいです。
私が卒業研究に障害者表象を選んだもっとも大きな動機は、映画やドラマや小説の中の障害者が必ずと言っていいほど最後に死んでしまう傾向への問題意識でした。普通に生きている/生きていく障害者のイメージが表象文化の中にあまりにも乏しい。障害者に限らず、性的少数者などマイノリティに共通して、その傾向を押し付けられていること。今だに根強く残るこうしたステレオタイプの指摘と批判が、私の論文の中心を占めています。ですから、発表から二年以上も経ったので(作者が余計な解説をしてしまっても)もういいかなと思うのですが、『ハンチバック』において賛否を呼んだ終結部で語られたストーリーは、映画やドラマや小説の中でさんざん殺されてきた障害者のイメージをパロっているのです。パロディをやる、と言うより「パロって」という、ふざけた軽い言い方が一番フィットするのでこのように書きますが、ふざけているゆえに、ラスト付近の数行はわざといいかげんな書き殴りの筆致を残している。いいかげんな文章を残すことで誰がその文章を書いているかを示唆しているとも言える。正直あの9月に何を考えどこの部分で何を企図しながら『ハンチバック』の90枚を書いていたのかもうほとんど覚えていないのですが、ラスト一文前の数行をわざとそのように書いた、という意識の記憶だけは残っています。言うまでもないこととして、そのパロディは、障害者を最後に死なせる過去現在未来のフィクションへの皮肉であり批判であり抗議であり……。まあでも、どうやら「マイノリティ必ず死ぬ問題」はマイノリティ界隈では以前から問題視されていても、一般には認識されていないためなのか、この意図は『ハンチバック』発表後に多くの読者を得てもぜんぜん理解されなかったな……と思います。
卒論の書籍化をそんな頃から考えていただいていたとは……! デビュー後に何度か活字化のお話がありましたが、すべてお断りさせていただいているんです。なぜかというと、引用文献リストという細かく神経を使う作業の産物と二度と向き合いたくないからです(笑)。
しかし頑張った甲斐あって、論文を完成させた経験は卒業後の自分に確かな自信を与えてくれています。これから卒業研究に向かい合う皆さんにも、ぜひ誇らしい達成感とともに最後のページの引用文献リストを眺めてほしいと思います。
市川沙央
